2010年5月29日土曜日

日本の美2

銅版画/etching

昨日のつづきで、また日本の美の話。
外国人にとって、日本の美術、芸術の中で、最も西洋とは違うと感じるのは、日本独特の空間美だと思うのです。
というわけで、このあいだの講義のときも、これについていろいろやりました。

例えば、水墨画。このあいだまで、展覧会が行われていたという、長谷川等伯の「松林図屏風」なんかは、典型的な例。
もっとも、あれは本人が屏風に直接描いたのではなく、ふすま絵だったのを後の人が張り合わせて作ったそうですが、そんなことは、どうでもいい。
あれが有名というだけで、どんなに日本人が、あの空間に魅せられているかということがわかります。

日本の芸術には、そういうものが多いですね。
全部を、表現して説明し尽くさない。ということは、見る側も、ある程度の想像力だの感性だのが必要になってくるわけです。
描かれていない空間には、何も無いわけじゃない。
抽象画を描く友人が、自分の絵について、「見る側も、作品に寄っていかなければならない。」と言っていましたが、日本の芸術はまさにそれ。

能舞台なんかも、そうですね。全ての演目を、あのシンプルな舞台でやってしまう。
観客は、その小さな舞台のうえに、広大な空間の広がりや宇宙を感じていくのです。

こういう感性が、身分の上下を問わずに浸透してるとこが、またすごい。

などということを、アメリカ人にわかってもらえるように説明するのが、もう大変。英語にならない日本語もあったりして、たぶん、伝わらなかったんじゃないかしら?
そもそも、言葉にして説明してしまうことが、もう本質から離れていってしまう。

というわけで、結局、最後は、「日本人は、理屈抜きで、これを美しいと思うのだ。」ということになりました。
でも、これが一番正しいんじゃないか?


2 件のコメント:

つくし さんのコメント...

「日本の美」についての講義、おつかれさまでした。
こりゃまた、いっちゃんむずかしいテーマだねえ。
でも理屈抜きに美しいと思うのは言い得て妙です。
言葉にする事じたいが野暮ってもんです。「美」は人間が作った言葉という道具にははまりきれないのです。
それをあえて表現しようとするあなたは偉い!そしてそれを英語で!
来年もがんばってください。

hisako kurose さんのコメント...

来年、あるかどうかわからないけど、もしあったら、体験を通して何かを得てもらうのがいいかも。
日本語でも、説明しきれないものを、英語でなんて不可能に近い。
そういや、俳句や和歌のような、言葉を使った表現さえも、言葉以上のものを表そうとするよね、日本人って。
この世には、言葉や、場合によっては形にさえも、表すことができない何かがあるということを、本能的に知っているんじゃないかと思います。